100万円と、泣いた話。
今週のお題「100万円あったら」
初めてお題というものに手を出してみた。
たまたまとはいえ、ちょうど今週のお題がお金にまつわるものだったことは、とても皮肉な話だと思う。
以前、「人生で一番、今がお金がない」という記事を書いたように、私はしばらくの間、無職だった。
ずっと働いたことがないわけではない、これまでも幾つかのアルバイトを転々とはしていたけれど、結果的に言えば、どれも続かなかった。
セクハラ、パワハラ、モラハラ、辞めた原因は様々あったけれど、つまるところ私が何らかの理由で耐えられなくなって、適当な理由ーー親戚が体を壊したとか、そういうものが多かった気がするーーを並び立てて、逃げた形である。
そして私は去年の夏、決定的な間違いを犯した。それは私の心を壊すには充分なもので、最早完全に働けなくなった。外に出ることさえままならない日もあった。
流石にこれはおかしいと精神科に行けば、どうやら私は何年も何年も前から、ある病気だったらしいということを知った。
仕事が続けられなかったことも、あれも、これも、その去年の大間違いも、どうやらその病気が大元の原因だったらしいということを知った。
正直に言えば、ほんの少し救われた気がした。
これまでの後悔が、何もかも私だけの責任という訳ではなかったのだ、と言われた気がした。
そして今。
私はまた働き始めている。
これまでと違うことは、自分の病気を自覚していること、薬があること、そしてそのせいかもしれないけれど、これまでの自分よりかは、いくらか、頑張らなきゃいけないとか、格好良くいなければいけないとか、そういう風に考えることが減ったような、そんな気もすること。
とはいえ。
昨夜は職場からの帰り道、突然、耐え切れずに泣いてしまった。
特にこれという嫌なことがあった訳ではなかった。ただここ最近感じた色んなプレッシャーだとか、寂しさだとか、自分の不甲斐なさに対する悔しさだとか、なんだか色々な感情が混ざった結果である。
薬の類も、ただ少し私を「普通」に近付ける手助けをしてくれているだけで、マイナスの感情を感じなくするものではないのだから、ストレスを感じても、それは自然なことーー分かってはいたけれど、分かっていなかったらしい。
多分考えないようにしていたのだと思う。
だからこそ、とても驚いてしまった。
一瞬、近頃順調だと思っていた毎日が、実はちっとも順調ではなかったのかとすら思った。
泣くことも、ストレスを自覚することも、悪いことであるような、「正常」になれば、そういったマイナスの気持ちは全て無くなるものであるような、そんな風にどこかで期待していたのかもしれない。
でもそれは多分違う。
悲しいことや、泣いてしまうことが無いことが正常なのではなくて。
ちゃんと笑って、ちゃんと泣いて、ちゃんと怒って、そして時折肩の力をふっと抜くことができる、それが正常なのだと、当たり前のことを今更気付かされた気がした。
もう不必要な我慢はしないことにしよう。
自分の気持ちに蓋をする癖も治していこう。
頑張らないことを頑張ろう。
泣きたい時は泣けば良い。
辛いものは辛い。苦しいものは苦しい。
それで良い。それが良い。
と、いう訳で。
大分話が脱線してしまったけれど。
100万円あったら。
このコロナが猛威を振るう状況で、言うことではないかもしれないけれど、
両親を誘って、温泉旅行にでも行ってみたいと、思った。
そんな状況でなら、今の私なら、以前よりもちゃんと、泣いたり、怒ったり、笑ったり、できるような気がしたからだ。
ずっと許せなかった母と、未だに他人行儀にもなってしまう父と、そろそろゆっくり話す機会を用意してみたいと、
うん、そんなことを考えられるのなら、私はきっと、自分で思っているほど一杯一杯にはなっていないのだろう。
肩の力の抜き方は、まだまだ修行中の身だけれど、心に余裕、深呼吸、忘れずに。
今日もゆっくり頑張ろう。
人生何が起こるかわからない。
百万円だって、本当にうっかり手に入るかもしれないのだから。