さよりさんち。

30代女の備忘録に近い呟き。

しばらく写真を撮っていない事。

(自分を)撮ることも、(何かを)撮ることもしていないと、今朝起きて、実家の母に久々に連絡を取ろうと考えたところで、気付いた。


ちょっと綺麗に盛り付けた手料理。

出掛けた先の綺麗な景色やご馳走。

最近の購入品や、おすすめのものたち。


文章だけよりも伝わる気がして、母に連絡する時には、何か写真を添えることが多い。多かった、ような気がするのだけど。


ここしばらく写真を撮っていないので、送れるものがないことに気付いて。


漠然と、最近の私は本当に疲れていたのかもしれない、と思った。


確かにこの一年、色々あって、精神的に不安定になったり、これまでと同じ日常を生きる事が難しくなって、自分があまり健康と言える状態でないことは分かっていたつもりだったけれど、


(撮ろうと思うほど)心を動かされるものがなかった、という意味でも、

(撮ろうと思うほど)手間をかけて何かを作るつもりになれなかった、という意味でも、

現在の自分が見たものを、何一つ記録しておきたいと思わなかった、という意味でも、


思っている以上に自分に余裕がなくなっていたのかもしれない、と、何か妙な程、すとん、と気付いた。


特別写真が好きで撮っていた訳じゃない。

けれど、だからこそ。今まで、好きでも嫌いでもなく当たり前にしていたことをしていなかった、それについさっきまで気付いてすらいなかった、事で、何か急に、しばらくの間、私は私でいられてなかったような感覚を覚えて。


いや、写真なんて撮らなくても私は私なのだけれど。上手く言えないけれど。


むしろ小さな頃は、自分の容姿が嫌いだからと大の写真嫌いだった。その癖、大人になってからは、着飾って被写体になる仕事をした上で、その仕事をあまり綺麗とは言えない辞め方をした為に、より写真に良いイメージを持てなくなって、……多分、人物写真に関しては、今も好きではないのだと思う。


もしかしたら、撮らない今の方が、私は私でいられているのかもしれないけれど。


それでも、誰かと気持ちを共有したいと思えることや、忘れたくない、また見返したいと思えるものが何もないと言うのは、少し寂しい気がする。


写真なんかより、ちゃんと目に焼き付けて、なんて言葉もあるけれど、私の記憶能力ほどアテにならないものもないのだから。


またなにか撮ってみよう。

撮りたいと思う何かを見つけられるように、少し、視野を広げてみようと。


そんなことを考えた一日の始まり。

キッチンとシェイクスピア。

昨日は、いつの間にかキッチンを片付けていて。


早く職を見つけなければいけない現状や、その他あれこれ関しては何一つ変わっていないのだけど、ほんの少し、すっきりした心地になった。


私はキッチンが好きだ。

そう胸を張れるほど料理上手な訳ではないし、そもそも調理する行為が好きな訳ではない、どちらかといえば勿論食べる方が好きだけれど。


それでも何故か、洋服を畳んだり、掃除機掛けをしたりというような、日常生活における他の家事掃除に比べて、シンクやコンロを磨いたり、調味料や食器の棚を片付けることはさほど苦ではなくて、


化粧品や衣服の類よりも、より良いキッチンツールや洒落た食器に魅力を感じやすいし、お金を使うことが多い気がする。


実家でも、今も、子供の頃から今日まで、なんとなく落ち着かない時、悲しい時、苛立っている時には、キッチンに入ってぼんやりしていた。


するとしばらくすると、お茶でもいれようか、とか、何か片付けようか、とか、そんな気持ちになって、いつの間にか手を動かしていて、なんとなく落ち着いているのが私のパターンで。


いつも、キッチンには助けられている。

近頃は色々、勝手に追われている気持ちになって、そんなことも忘れがちだったけれど、あれもしなければこれもしなければと慌てたところで、私一人が同時にできることなんて限られているのだ。


「賢明に。そしてゆっくりと。速く走るやつは転ぶ」


急に思い出したシェイクスピアの言葉が耳に痛い。

私はいつもお尻に火が付いてから、ただただ必死に闇雲に走ろうとしてしまうことばかりだけれど、きっと今必要なのは、懸命さより賢明さだ。


深呼吸。がんばろう。

人生で今が一番お金がない。

タイトル通りの現状である。

更に今月はもう収入の予定がない。参った。



元々そう倹約家では無いけれど、それでもここまで困窮するほど浪費家では無かった、はずである。


いや、そういうとまるで何か大きな買い物をしたとか、無駄な出費をしたように聞こえるけれど、特にそういう訳でも無い。


勿論、ここしばらくの買い物全てが正しかったかと言われるとそれは違う。調子に乗って某コンビニで新作のスイーツを買ったこともあったけれど、あれが絶対必要なものだったかと言われたら違ったということも理解している。


でもまあ、たかがその程度だ。

たかが、ではなく、されど、なんて言われたらまあ、それもそうかもしれないけれど。


実家もあまり裕福ではなかったから、それなりに節約には慣れていた反面、不意にお金を持つと嬉しくなって、多少無駄遣いしてしまう面があることは自覚していた。だからこそ少し前までは、割とちゃんと自分なりに管理していた、出来ていた、つもりなのだけど。


人間、一度自暴自棄になると中々立ち直れないもので。


本当に何か実行するつもりがあったかは、今はもう分からない。ただ、ああ、しんどくなったらしんでしまおう、と、漠然と思ったことがあった。そこから貯金ができなくなって、同じ仕事を長く続けられなくなって、楽しい気持ちも悲しい気持ちも唐突に冷めることが多くなって、

……なんだか逃げてばかりの人間になってしまった、と、自分でも反省に似た何か、決まりの悪い気持ちを感じながらも、直し方が分からないまま毎日が過ぎていって、


それでも一応、何故か上手いことなんとかなって、ギリギリながら、その日食べるもの位は困らずに過ごせていたのだけれど、


今、コロナ含めて色んなことが重なって、じわじわと無職になりつつあって、


あ、このままでは家を出なければいけなくなる、とか、携帯が持てなくなる、とか、結構本格的な危機を自覚した途端、急に慌て始めたのが数週間前の話。


明らかに遅い。けれど、今更それを悔やんでもどうしようもない。


何はともあれ仕事を見つけなければ、と、今日は久々に履歴書を書いて。色々真っ白だなあと悲しくなりながら、なんとか拾って貰えたら良いなと、ポストに投函。


毎回求人に応募する度に色々期待しそうになるけれど、選ばれなかった時のショックを減らす為、「こういうのは半分運。落ちて当たり前、受かったらラッキー」と、なんだか虚しいことを脳内で復唱しながら帰る私。



正直、ここ何年かは、何件か雇って貰えたことがあっても、どこもパワハラセクハラ問題が多くて続けられなくなったりと運が無くて、またそういう職場を引いてしまうのではと不安な気持ちも強い。


こんなに続くのは、そもそも私自身にも問題があるのかもしれないし、それなら何か人格が変わるような出来事でもなければ、もう仕事を続けるという行為自体が私には向いてなくて、出来ないのかもしれないとすら思う。


でも、たとえ次の職場もまた、数ヶ月、数週間、数日しか続けられなかったとしても、その分のお給料だけでも、今は必要だ。


お家賃。携帯代。後、保険代。

今月は断念してしまったから、病院代もあれば嬉しい。


そう。現実的に考えて、来月も生きるというなら、今は新しい職を探すこと以外の選択肢が、思いつかないのだ。


頭痛薬は効かない。最近ずっと頭が痛い。

いい歳して、子供みたいに駄々をこねて泣きじゃくって全部放り投げたくなる。甘えるな気持ち悪い。


寝て起きたら、また別の求人も探してみよう。

今月中に仕事が見つからなければ、いよいよ実家に帰る選択肢しかなくなってしまう。それは避けたい。どうしても避けたい。死んでも避けたい、……それは案外本気かもしれない。


がんばろう。

プライドなのか意地なのか分からないけれど、まだ一応そう思えてるのは悪くないことだと思う。


深呼吸だ。

まだ生きてる。生きようとはしてる。誠実にも真面目にも過ごせてはいないかもしれないけど、これはドン底じゃない。悪くない。



備忘録のような何かの始まり。

格好つけるもの、だと思う。


その言葉に多いに例外と語弊があることは勿論としても、一般的に、ブログだとかインスタだとかTwitterだとか、他の人の目に触れる可能性がある文章というのは、どこかしらなにかしら「善く思われたい」「恥をかきたくない」という気持ちが根底に、前提にあるものだと思う。


いや、偉そうに書いたけれど、私だけかもしれない。実際そんなことを気にしている人は少数で、そう見えているだけかもしれないけれど。


少なくとも、過去の私はそうだった。


ブログ、インスタ、Twitter、どれも触れたことはあれど、Twitterに載せる写真のためだけに化粧もしたし、インスタに載せる写真のためだけに、大皿で作った料理をわざわざ小洒落たプレートに並べ直したりもした。


仕事で疲れ切って、もうなにもしたくない、シャワー浴びるのすら面倒、カップラーメンのお湯を沸かすなんてベリーベリーハードクエストだ、なんてぼやきながら、さして閲覧数もないブログには見栄を張って「今日は充実した1日でした!」なんて書いたりもした。


充実とは何か。

改めて考えたら随分滑稽な話である。


さて。

随分脱線した気もするけれど、そういう訳で。

ここでは今日から、これまで「格好つけていた私」が話せなかったことを主な話題として、ブログのような何かを続けていきたいと思う。


一応公開こそしているものの、あくまで個人的な備忘録のようなつもりで、ただ、その日できたことや、考えたことの記録として続けていこうと思っているので、(そもそも存在しているかもわからないけれど)こんなところまで読んで下さっている優しい方には、今のうちに、「この先このブログから、有益な情報が発信されることは特にありません」ということを、謝っておこうと思う。


時間を有効に使いたいなら、きっとこれを読むことはあまり賢明な選択ではない。と思う。ネット上には、様々な専門家たちがいて、読むだけでも何か賢くなれそうなものを山程用意してくれているのだから。

無職(仮)アラサー女の日常は、読むことでちょっとした優越感を得ることは出来るかもしれないけれど、それ以上にもそれ以下にもならない、多分。


ひとまず私は、始めたからには1日坊主にならないように。
そう間を開けず、次記事を書けたらと思いながら、今日はここまで。